香港旅日記
11月1日、出発直前。
わたしが入っているメーリングリストの皆さんに出発のお知らせを送る。
午前8時10分過ぎ、家を後にするが、
なんだかもう帰ってこれないような気分に襲われる。
午前8時25分、
鹿児島空港へ向かうリムジンバスに乗車した。
バスの中でも、色々な思いが頭をかけめぐる。
50分くらいで空港へ着いた。
鹿児島初福岡行きの飛行機は、午前10時55分である。
そこから乗り継ぎで、最終地香港へと向かう。
空港内のいすに腰を掛けて、なおちゃんに、
「行ってくるよ。
もし何かあったら家族を頼む。」
とのメールを携帯から送る。
その内、ぱらぱらとメンバーが集まり始めた。
わたくしが所属するお箏の会、
昌弦会メンバー16人と、
県庁職員3名、
添乗員1名、計20名で福岡へと向かった。
飛行機を利用して福岡へと向かうのは初めてであったが、
福岡までの飛行時間は、わずか30分前後とあって、
飛行機に乗ってしばらく立つと、あっという間に着いてしまった。
福岡の天候はやや曇りがちだが、
それほど寒さは感じない。
ここは日本。まだ気持ちの余裕はある。
しかしここから、出国手続きと言う難関が待ち受けている。
香港行きは、午後1時過ぎに飛び立つとの場内アナウンスの声。
心臓はどきどきと悲鳴を上げていた。
出発の不安をあざ笑うかのように、出国手続きの時がやってきた。
パスポートと、香港行きの飛行機のチケットといっしょに、係員にさしだす。
緊張の一瞬、
どきどきどきどき
心臓の高鳴りは最高潮にたっした。
どれくらい時間が立ったであろうか。
数秒だったと思うが、しかしかなりの時が流れたような気がした。
無事に、出国手続きが終わった。
ほぉーっとため息が漏れた。
やっと、香港への出発と言う難関を突破した。
しかし、最終的には無事に香港にはいれなければ意味が無い。
日本時間の、午後1時過ぎの、福岡発 香港行きの飛行機に乗り込んだ。
暫くして機内から、客室乗務員の、
「この飛行機は、間もなく離陸いたします。
シートベルトをしっかりとお閉めになり、
これからのお手洗いはご遠慮下さい。」
とのお決まりのような声が聞こえる。
これから、3時間ちょっとの空の旅。
一眠りするとしようか。
香港到着は、香港時間で、午後3時半くらいの予定である。
今日の香港での予定は、空港から直接ホテルへと向かい、
チェックインを済ませてからペキンダックを食べに行き、
100万ドルの夜景を見に行く予定となっているが、
わたくしにとっては、夜景などよくわからないし、
みんなについて行くしか無い。
本音を言うと、ホテルの部屋でゆっくりと疲れを癒したい所ではある。
演奏の本番は、明日である。
時刻は、香港時間の午後3時を回った。
飛行機は予定通りに香港の国際空港に着陸をした。
機内放送によると、
「香港の天候は晴れ。
気温は、摂氏27度でございます。」
との報告が成された。
因みに、香港と日本との時間差は、1時間くらいだという。
香港は、鹿児島に比べたら、とてつも無く暑い。
とにかく、その国の気候に慣れるのが、最初の交流なのかもしれないと、
自分で思いながら苦笑した。
飛行機を降りると、やはり暑いが、
鹿児島の真夏の思いを考えたら、死ぬほど暑くは無い。
今日はこのまま、香港側が用意してくれたバスに乗り込み、
ホテルへと直行する。取りあえずホテルに着いたら、ほんの少しゆっくりできる。
空港からホテルまでの時間は、約30分くらい架かると、かってに予想していたが、
バスに乗り込む前に、香港側から我々の全面的世話をしていただく、
添乗員のチョーさんと言う方にお会いした。
話しぶりからして、なかなか頓知の効きそうな人だ。
我々は、鹿児島から運んで来た楽器を別のトラックに乗せ、
自分たちは、香港側から用意していただいたバスに乗り込んだ。
バスに乗ると同時に、添乗員のチョーさんが、
「皆さんこんにちは。
これから4日間いっしょに行動を共にします。宜しくねぇー。」
との片言の日本語での挨拶があり、その後直ぐに、
「みなさぁーん、時計を合わせて下さいね。
日本とはじぇんじぇん違うノから、ごっちゃ成るよ。」
と、なんだかたどたどしい日本語での説明だったが、
わたくしは彼の一生懸命な日本語に、感動を覚えた。
自分たちも、まともな日本語を使えて居ないのに、
丁寧な日本語で、色々と説明をしてくれるチョーさんに、
心から感謝をした。
そして、色々な香港についての説明を受けている間に、
バスはホテルに着いた。
わたくしはバスを降りるときに、チョーさんと握手をした。
そしたらチョーさんが、
「明日の演奏、頑張って下さいね。」
と行ってくれた。
とても嬉しくて、なんどもチョーさんの手を握りしめた。
やっとホテルへと着いた。
かく部屋語との鍵を貰い、
わたくしと母は、ホテルの部屋へと入った。
鍵はカード式で、カードの表面には、なにやら模様がついている。
手で触っても、はっきりと分かるくらいの模様である。
なにはともあれ、香港のホテルに落ち着いた。
つぎに目指す物は、夜の食事場所。
香港での最初の食事だ。
今日のメニューは、ペキンダックだ。
ペキンダックとは、良く耳にするが、そのものはまったく知らない。
集合時間は、香港時間の午後6時半だ。
もちろんこれは、大体の時間ではあるが、皆疲れて居ない事を祈りながら、
ホテルの部屋を後にした。
4階の待ち合わせ場所に行くと、何人かは来ていたが、
まだ全員は揃って居ない。
しかし、5分も経たない内に全員が揃い、バスに乗り込んだ。
「皆さぁーん、お疲れさまでちたぁー。
ちょっと、ゆっくりできましたぁね。」
チョーさんの、心地よい日本語。
相変わらずたどたどしくはあるが、わたくしには、
香港の明るさがにじみ出た、テンポの良い音に聞こえる。
「これから、北京ダックを食べ行きますよ。
ペキンダック 皆さん初めてね。
このホテルから、15ぷんくらい架かるのと思います。」
との説明があった。
チョーさんのテンポの良い話を気持ちよく聞いていたら、
あっと言う間に着いてしまった。
バスを降りると、色々な臭いが漂ってきた。
キムチのような臭いや、唐辛子のようなつぅーんとした臭い。
さすがは中華の本場だと思った。
さて、その北京ダックと言う物を食べさせてくれるお店に入った。
そこも、やはり香辛料の臭いが漂っている。
そして、軽快な香港の言葉。
聞く物、臭ってくる物、全てが新鮮に感じた。
北京ダックを食べる前に、色々な物がでてきたが、
それを、少しずつつまんでいるあいだに、メインのペキンダックの登場。
そのペキンダックとは、ギョーザの皮のような物に、
調味料(味噌)をつけて、肉や野菜などを巻いて、いっきに食べる物だ。
こりゃぁー大変。我々盲人には、地獄のような物だ。
と言うのも、材料となっている野菜や肉その他を、
調味料といっしょに、皮に巻いて食べる訳だから、
一瞬の気の緩みがあると、皮の穴のほうから、
巻いた材料がはみ出てくる可能性もある。
なんだか、緊張をしながら食事をするのも大変であるが、
これも1つの経験であろうか。
最初に出てきた前菜、それにスープ ペキンダック デザートの順で、
色々と出てきたが、緊張のあまりに、なにをどのように食べたか、全く覚えて居ない。
そんなこんなで夕食を終えて、1000000ドルの夜景を見にいくために、
またまたバスに乗り込んだ。
いったい、どのような夜景なのかと言っても、
我々にはとぉーんとわからないが、まあ経験だ。皆について行こう。
バスは、1000000ドルの夜景が見えると言う高い丘の展望台の前まできた。
丘と言っても、なんとなく蒸し暑い。
香港は、かなり湿度が高い国なのだろう。
わたくしたちは、1000000ドルの夜景の見えると言われている、
展望台まで歩いた。日本と同じように、
夏から秋にはいろうとするときに泣く、虫の声が聞こえる。
全く、同じ虫の声である。
展望台まで上がって夜景を探したのであるが、
残念ながら、この日はぜんぜん見えなかった。
と言っても、われわれには勿論わからない。
見えた物は、香港特有の、高いビル群だったようである。
20分くらい、色々と歩いた後、集合時間となり、
皆バスに乗り込んだ。
後はホテルに向かうだけ。
今日の全ての予定は終了である。
出発からここまで、色々と不安を抱えていたが、
取りあえず、香港にはいるまでの1日を、無事に終えた。
今日は、このままふろにはいって寝るだけ。
明日の演奏会のために、ゆっくりと寝るとしよう。

11月2日。
携帯の目覚ましが、午前6時過ぎにけたたましく鳴る。
日本にいるときは(太陽にほえろ)にしてあったのであるが、
どうやらそのまま香港にきてしまったようだ。
午前8時前に、朝食を食べるために下に下りた。
全員では無かったが、何人か我々の仲間がきていた。
食事は、バイキング方式になっており、
自分の好きな物をとれるようになっている。
しかも、日本の味噌汁まで置いてある。
これは、いたれりつくせりである。
今朝は、ベーコンと少しの菓子パン。
それから、グレープジュースと多少の野菜を食べ、最後にコーヒーを飲んだ。
今日の予定は、11時45分にホテルを出て、ユンロン劇場へと向かう予定だ。
出発の時刻を迎えて、我々は、楽器と着物、
そして少しだけのお金を携えて、バスに乗り込んだ。
劇場に入る前に昼食を済ませると言う。
さっき朝食を済ませたばかりなのに、ほとんど食べられないと思うが、
まあ腹には少し入れて置こう。
この日の昼食については抜粋することにして、本命の演奏会の話にはいろう。
昼食を挟んで、色々なハプニングを起こしながらも、無事に劇場についた。
午後3時半くらいから、本番前のrehearsalが始まった。
rehearsalのmainは、香港とのユースオーケストラとの競演の曲に絞られた。
競演する曲は、
「鹿児島県のおはらぶし 
日本の桜桜
「香港で言うとさくら花と言うらしい。」
桜桜については、わたくしがアドリブでお箏を付けることになっている。
2つのrehearsalは、30分くらいで終了した。
他にもわたくしが弾く曲は3つある。
尺八での演奏で、
「編曲八千代獅子 
春の海」
そして、お箏で、
「飛騨によせる三つのバラード」
と言う曲を演奏する。
これは、お箏と尺八の4重奏である。
しかし、今回はお箏だけの演奏である。
午後6時前に、リハーサルの全てを終了して、各楽屋に夕食の弁当が配られた。
中身は日本食である。
わたくしは普段、演奏前は食事をしないのであるが、
その日は珍しく、半分ほど食べた。
日本で言う牛どんであった。
午後7時半、交流演奏会の幕が開いた。
羽根突き 花園 飛騨によせる三つのバラード 編曲八千代獅子 春の海。
演奏曲目が進んで行く。
そして、いよいよ香港のユースオーケストラとの競演曲、
桜桜の演奏の瞬間を迎えた。
程良い緊張感のなか、舞台へと向かった。
わたくしの今日の出で立ちは、着物に袴姿である。
どこから見ても、刀を指して歩けば、必殺仕事人のような恰好だ。
完ぺきに中村もんどに成りきって、歩いて居るようにも思えた。
楽団のイントロが聞こえてきて、演奏が始まった。
耳慣れた桜の演奏に合わせて、自分の感性の全てをお箏に乗せた。
勿論そのときは、我々の会の子供達も出演していた。
桜桜の日本からのメンバーは、子供達とわたくしと5人くらいだった。
良い調子で、演奏が進んで行く。
そして最後の、
「ぽろぉーん」
と言う、わたくしのお箏の音色で締めくくった。
暫くして、開場からは沢山の拍手。
その拍手の音は、音楽で香港と日本の演奏家達が、
1つに繋がった瞬間であった。
とても感動して、思わず胸が熱くなった。
香港のユースオーケストラとの演奏は、大成功に終わったのだ。
準備期間が2週間しか無かったので、
とても不安ではあったが、無事に大役を終えた。
いまは最高の気分だ。
音楽は、言葉は通じなくても、世界中で人と人とが繋がる、とても良い瞬間である。
ユンロン劇場での演奏会は、大成功に終わった。
香港のユースオーケストラの演奏も、勿論あった。
とても素晴らしい演奏であった。
60名くらいの演奏科達の息が、ぴったりとあっていて、
それはそれは口では表せない感動を覚えた。
その瞬間、
「ああ、香港にきて良かった。
最高の演奏旅行になる。」
と確信した。

11月3日。
今日は、香港にきてから3日目の朝を迎えた。
昨日は結局、ホテルに戻ってきたのは、午後10時半を回っていた。
それから、5 6人のメンバーで、本場のワンタン麺を食べに行った。
このときは、添乗員の(ウエキョン)こと、上野さんもいっしょだった。
やはり、本場のワンタン麺は、味が違う。
ぷりぷりの大きな海老。そして、適当な量の麺。
日本みたいに、大きなどんぶりに沢山はいっているのとは訳が違う。
とても食べやすかった。
今日は、午前中に香港の中学校に行き、
午後から博物館に行き、両方とも演奏を行うことになっている。
偶然にも、今日は鹿児島では、おはらまつりが行われる日でもある。
香港から、鹿児島に雨が降らないことを祈る。
出発は、9時半である。朝の9時にしては、とても暑い。
我々はバスに乗り込んだ。
さすがに3日目ともなると、大人共は疲れている。
元気がいいのは子供達だけだ。
正直、わたくしも疲れぎみである。
バスがホテルを出発してから、40分くらい立った出あろうか。
無事に、香港のとある中学校についた。
ちゃんと名前は書いてあったのだろうが、
中学校の名前は忘れてしまった。
演奏開始が、10時半からなので、早速楽器の準備に取りかかる。
今日は、予定では3曲の演奏である。
でも、多少の変更は覚悟済みだ。
曲目は、羽根突き 花園 飛騨によせる三つのバラード。
アンコールで、鹿児島県のおはらぶしである。
おはらぶしの、わたくしの担当楽器は、尺八である。
今日は昨日と違って、ワイシャツに長ネクタイである。
勿論、着物に比べたら楽な物だ。
鹿児島から同行してくださった、県庁の文化振興課の職員の高風さんが、
我々メンバーの紹介を始めて、1曲目の羽根突きの演奏が始まった。
わたくしは舞台の袖にはいって、次の曲の準備に取りかかった。
その中学校は上流家庭の子供達の来る学校らしい。
音楽を専門的に教えている部分もあるそうだが、
かなり厳しいようである。
わたくしの演奏曲目、
「飛騨によせる三つのバラード」
の番がやってきた。
昨日の劇場での演奏会でも弾いているが、
毎回、違った緊張感はある。
演奏は進む。
香港での昨日の演奏会の感動を思い出しながら、演奏をした。
演奏が終わると、場内から沢山の拍手が聞こえた。
今日も、我々昌弦会のティームワークはばっちりである。
アンコールのおはらぶしの演奏が始まった。
今日は、我々昌弦会だけのおはらぶしの演奏となったが、
昨日はこれを、香港のユースオーケストラと競演した。
今日は鹿児島も、おはらまつりとあって、みんな乗りに乗っているようだ。
と言って、わたくしが乗って居ない訳では無いが。
開場は、身を乗り出して聞いている子供達もいたようだ。
やはり、音楽の力は凄い。
どこに行っても、音で繋がるのだから、言葉では言い表せないものである。
中学校での演奏を無事に終えた、わたくしたちメンバーは、
次の目的地、博物館へ向かうため、楽器の撤収を始めた。
鹿児島から、楽器といっしょに来て居るわけだから、大変な大移動だ。
中学校を出る前に、外でみんなで写真を撮った。
これはきっと、良い記念として残ると思う。
全てが整った状態で、バスに乗り込んだ。
博物館に向かう前に、昼食を挟んだ。
内容は、日本で言う、
「餃子 シューマイ 春巻き」
などと言った中華料理であったが、ここ2日 3日、脂っこい物が続いたせいか、
あっさりといただけた。
なかでも、デザートに出てきたココナッツのミルクのジュースは、絶品だった。
昼食場所から、バスは博物館へとむかっている。
今日も、香港は暑い。
少しばてぎみのわたくしだが、演奏はばっちりとやりたいものである。
持病のヘルニアが出ないことを祈りたい。
博物館に着いたのはそんなこんなで、午後2時を少し回っていた。
それから、30分ほど博物館を見学して、rehearsalの運びとなったが
見学をしているあいだに、体じゅうを強烈な痛みが走った。
原因はわからないが、きっといままでの疲れが貯まって、痛みとして現れたのであろう。
時間は午後4時。演奏の本番を迎えた。
演奏曲目は、
羽根突き 花園、編曲八千代獅子。」
そして、最後に春の海である。
春の海は、正月にテレビで良く流れるあれである。
その曲の編成は、お琴と尺八の二重奏であるが、
今日はその尺八を吹くことになっている。
いつもより、少し体力が落ちているので、
とにかく、最後まで持たせる事だけを考えよう。
ヘルニアは、いったん痛みがくると、我慢しきれないほどの痛みに、
耐えて行かなければならないことも珍しく無い。
編曲やちおじしも、尺八を吹く。
花園の演奏は、約5分くらいなので、わたくしの番は直ぐに回ってきた。
わたくしは、最大の力を振り絞って、最初の出だしをおもいっきり吹いた。
ここまで来ると、痛いとか痛く無いとかは言って居られないのだ。
まあ、なんとか順調にきている。
さすがに疲労は隠せない。
「とにかく、春の海まで保ってくれ。」
わたくしは、そう強く祈った。
編曲八千代獅子も、無事にハプニングも無く終わり、春の海の番である。
演奏が始まった。お箏の前奏の後で、尺八の出番はやってきた。
やはり、いつもより音は出て居ないが、ここで演奏を辞めるわけにはいかない。
子供達の演奏に後押しされながらも、自分の責任を果たすべく、後の7分間を、
とにかく、何事も無く乗り切る事だけを考えた。
ごぉーっと言う拍手がわき起こる。
演奏が、無事に終わりを迎えたのだ。
「やった、痛みは、来なかった。」
わたくしは心のなかで、そうつぶやいた。
これで、香港での全ての演奏を終えた。
感無量である。
とにかく良かった。
みんなで、喜びを分かち合える瞬間である。
例によって、楽器の撤収を始めた。
「お疲れさまでした。
大丈夫ですか。」
と、わがメンバーのなかでなん番目かに若い、短大生のSが、わたくしに、ささやいた。
彼女は我が会のなかでも、とても人にたいして優しい女性だ。
「うんうん、大丈夫さ。
色々有難うね。」
わたくしは、若干痛い体のことは黙っていたが、彼女にそう答えた。
まあホテルに帰って痛み止めを飲めば、なんとか持つだろう。
わたくしはそう考えながらバスに乗り込んだ。
今日はこの後、香港側との交流会が控えている。
「もう一息もう一息」
と何度も自分に言い聞かせた。

11月4日。
香港滞在、最終日である。
今日の香港は、天気は曇っているが、雨は降って居ない。
昨日は、演奏の後、香港の人たちとの交流会が行われた。
香港で言う、高級料理と言うものが沢山出た。
しかしながら、中には鳥の足を焼いて、皿にそのまま乗っけてでて来た物などがあった。
その鳥の足と言うのは、足の爪の股がそのまま開きそうな物であった。
とても気持ちが悪くて、手を出さなかった。
まあ色々とあったが、とにかく香港を立つその日を、無事に迎えたのだから、
何も言うことは無い。
今日の予定は、9時半にホテルを後にして、
香港の免税店で、買い物を楽しむこととなっているが
しかしながら、男には詰まらないと言うか、ブランドを目当てに買い物をするのは、
女性の最大の楽しみなのだろう。
わたくしは、ただそれに着いて行くだけである。
母もわたくしと同じ考えである。
午前7時過ぎにわたくしたちは朝食を済ませた。
さあいよいよ、忘れ物がないように出かける支度だ。
金庫にしまった色々な小物や、パスポート、
それに、香港での思い出をしっかりと詰め込んで、
午前9時を少し回った頃に、ホテルの部屋を後にした。
この部屋には、3日間泊まったのだから愛着はある。
最初の頃は、日本が恋しかったはずのわたくしであったが、
なんとなく、香港にも愛着が沸いてくるから不思議である。
でも永久に住みたいとは思わない。
やはり、世界中でもいちばん、我が家がいい。
まあそれは当たり前の話ではある。
ホテルの外で、みんなで写真を撮ることとなって、
メンバー16人と添乗員さん。
そして、県庁の方々も入って、写真撮影となった。
昨日行った中学校でも、何枚か写真は撮ったのであるが、
この写真も記念になる。
いままでの出来事が色々と頭のなかに蘇ってきた。
1日目の演奏の日のことや、2日目の中学校での演奏のことなど、色々と思い出される。
写真撮影が終わると、我々はバスに乗り込んだ。
このバスとも今日でお別れ。なんとなく、寂しい。そして、
「みなさぁーん、お早うごじゃいまぁーす。
今日は、いよいよ帰るひねぇー。
パスポートはだいちょうぶかなぁー。」
と片言の日本語を話してくれるチョーさんとも、
今日でお別れなのだ。
いままで、たいへんお世話になった人だけに、とても寂しくなってきた。
バスはエンジンを掛けたまま、まだ止まっている。
チョーさんが、16人のメンバーのパスポートを1人1人、確認を始めた。
パスポートはみんな持ってきていた。
それから2 3分くらいしてから、今度は上のさんが、
「念のために、皆さんの飛行機の帰りのチケットを確認します。」
との一言で車内がざわついた。
もし、帰りの飛行機の搭乗券を、持って来て居ない人間が、1人でもいたら、
日本には戻ることは出来ない。それから、どれくらい時間が立ったのかわからないが
みんな、帰りの飛行機の搭乗券も、忘れずに持参していたし、
勿論パスポートも全員揃っていた。
帰りの飛行機のチケットとパスポートの確認が終わると、バスが動き出した。
やっと少し、ほっとした。
元々気が小さい方なので、ちょっと心配をしすぎるところがたまに傷である。
バスは順調に、免税店にむかっていた。
予定では、慣行もあったのであるが、
しかし、みんな慣行よりも買い物を優先したのである。
それはわかる気がした。
大半は女性で、男といったら、
県庁の高風さんとわたくし。
そして、文化振興課の課長の吉留さんと、中村楽器店の若大将である。
男は、女性に比べたら欲が無い。
買い物に行っても、なんだか人ごとのように、暇を持てあましていると行った、
そんな状況であるから、こりゃぁー大変だ。
しかしながら、団体行動なので、自分のわがままをさらけだすと言う、
そんな行動は勿論取る事は出来ない。
女性軍は、どんな買い物をするのだろうか。
蚊帳の外からじっくりと見物としゃれ込もう。
バスは、免税店の在る
「ペニシリン」
とかなんとか言うホテルに着いた。
情けないことであるが、わたくしは横文字に弱い。
チョーさんの発音が、
「これから、ペニシリンと言うホテルなかにあるめんちぇーてんに行きます。」
なぁーんて聞こえたような気がしたのだった。
人の話を良く聞いていないのか、
それとも、耳が悪くなってしまったのかがよくわからないが、
どちらにしても、注意深く聞いて居なかったと言うことである。
バスはホテルへと着いた。
色々と沢山の免税店があるような雰囲気だ。
勿論、こういうところにすりのグループは存在すると言う。
気を引き締めなければならない。またまた緊張が走る。
全く、外国旅行と言う物はつねに緊張の連続。気が休まる時間は無い。
でも泣き言も言いたくも無いので、自分がきをつけて行くしか無い。
「集合場所はここ。
12時半にここに集合してくだじゃいねぇー。」
とのチョーさんの声。
チョーさんも我々日本人や、他の国の人たちの世話を、何回かしてきたのであろう。
たまには愚痴もいいたくなるようなわがままな観光客もいるだろう。
時間にルーズな客ほど、いらいらすることだろう。
そう言う意味では、添乗員の仕事もなかなか大変だと思う。
精神力と忍耐力の勝負だろう。
我々は、案内されるがままについて行けば良いが、
しかし、添乗員と言うのはどんなときでも、冷静で居ないと成らない。
ほんとうに大変な仕事である。
わたくしたちは、ショッピングの出来るホテルに入った。
ホテルのなかは、日本のデパートのなかとほとんど変わらない。
あちらこちらで、香港の店の店員の、使い慣れない片言の日本語が聞こえてくる。
我々はまず、お土産を買おうと、色々な店舗を回り始めた。
大きなホテルのなかの免税店とあって、色々な商品が所せましと並んでいる。
わたしは、いつもお世話になっている方にお土産を選んだ。
母親は姉のために、なんとかというブランドのバックを選んでいたようだが、
わたくしにはさっぱりわからない。
上記にも述べたとおり、ブランドと買い物には疎い。
40分くらいあちらこちら歩いた。
さすがに、足が重たくなった。
近くの、お茶が飲める休憩所に入ることにした。
そこに入ったら、県庁の職員の、大工園さんがいらっしゃった。
大工園さんは、女性の方だ。
今回、いっしょに同行していただいた県庁の職員のなかでは、一番若い。
休憩所の入り口に近い関に、どっかりと腰を下ろした。
わたくしはそこで、コーヒーを頼んだ。
1日のうちのどこかでコーヒーを飲まないと、なんとなく落ち着かないのだ。
まあどこにいても、さほどコーヒーだけは、味は変わらないからほっとする。
わたくしと先生と大工園さんは、その休憩所の関に並んで座った。
コーヒーの味はなかなかのものだ。
やはり、コーヒーは旨い。
とくに、あちらこちらをぶらぶらと歩いたあとだから、格別にうまい。
少しは疲れが取れてきそうだ。
色々な話をしながら、お茶を飲んだ。
少し時間が立ってから、休憩所を後にした。
集合時間が迫ってきたので、色々な物をぶらぶらと身ながら、
ホテルの外に行ったが、バスはまだ来て居なかった。
時刻は、午後12時20分くらいだ。
外は、やはり暑い。
香港は、初夏から秋へと、季節が移り変わる時期らしい。
2 3分、立った頃に、バスが来た。
後は食事を済ませて、空港へ向かうだけだ。
今日の昼食のメニューは、シセン料理だと聞いている。
シセン料理とは、中国の方に伝わる料理らしく、とても辛いと聞いている。
辛さの程度がわからないので、まあ食って見ようとしよう。
「皆さぁーん、お疲れさまでした。
沢山買えましたか。
では、みなさぁーん、これからシセン料理を食べ行きますよ。
種類としては、6種類出てくるです。」
とのチョーさんの軽快な話が聞こえてきた。
慣れてくると、この軽快なテンポでも心地よくなってきて、眠気を誘う。
15分くらい走った所で、バスが止まった。
ここが、シセン料理を食べさせてくれる場所らしい。
なにやら、普通のデパートのような所だ。
やはり、色々な香辛料の臭いが立ちこめてくる。
わたくしたちは、店に入ってテーブルに腰を下ろした。
(余談 テーブルに座った訳では無い。)
周りでは、香港の叔母ちゃんたちが、
「チイーチョォーファァー チョォンマランチョォーチュンロォーチーホチョンロンチーホーハーミョーン。」
などと、いっぺんに30人から40人が話し始めたので、
それはそれは、賑やかなものだった。
暫くして、シセン料理という物がぼつぼつと並び始めた。
うぅーん、さすがに辛そうな臭いである。
まあ食えそうな物だけを嘱すれば良いだろう。
普段から、食べることにあまり感心の無いわたくしは、その程度の考えでいた。
料理は、6品目くらい出てきたが、食べられた物はその半分くらいであった。
ざぁーっと、食事を済ませて、大好きなお茶を鱈腹飲んだ。
集合が、午後1時半だったので、その前にトイレに立った。
そのときに、県庁の高風さんといっしょに、トイレに行った。
「お疲れは無いですか。」
と高風さんが聞いてこられた。
「多少疲れが在りますけど、大丈夫ですよ。
後は帰るだけですからねぇー。」
と答えた。
疲れて居るのは、わたくしだけではないから、甘えた事は言いたく無かった。
いよいよ、最終目的地の空港へと向かう。
バスは予定通りに我々を乗せて、大体、定刻、午後1時半に発射した。
後は、香港に来た通りの手続きを踏めば日本に帰ることができる。
やっとここまで来たが、最後まで気は抜けない。
空港へ着くのは、午後2時を回ると思う。
飛行機は、午後5時過ぎの福岡行きの飛行機だ。
帰りも日本航空なので、安心である。
色々な思いを胸に、香港を後にする。
いままでの出来事が頭を過ぎった。
この4日間で、色々な経験も出来て、
また一回り、人間的にも大きくなったような気もする。
「さようなら、香港。
また会う日まで。」
わたくしは心のなかで、そうつぶやいた。
香港発福岡行きの飛行機は、香港時間の午後5時過ぎの出発である。
むろん、いうまでも無いが、出国手続きと同じように、
出て行け手続きも無事に終わったのである。
じつはこの、(出て行け手続き)のことをなんと言うか思い出せず、
いまだに、出て行け手続きと言っているわたくし。
税関や大使館の人たちが聞いたら、きっと逮捕されると思うが。
チョーさんは、我々が無事に空港に入るまで、いっしょについていてくれた。
「また香港で、ぜひ会いましょうね。」
とチョーさんが言ってくれた。
そしてなんども握手をしたのだった。
午後4時20分くらいになった。
添乗員のウエキョンこと、上野さんが、
「飛行機に搭乗する時間が迫ってきましたぁ。
皆さんお揃いですかぁー。」
との声。
我々全員併せると、20名になるが、
そのなかでも、上野さんはひときは声が通る。
歌を歌わせたら、きっといい声で歌ってくれそうであるが、
しかし、この人だけいまだに年齢不詳であり、謎の人物でもある。
わたくしの知り得た情報では、鹿児島県の人では無いと言うことだけだ。
たまぁーに、関西なまりのような言葉がでてくる時があるので、
ひょっとしたら、大阪の方かもしれないと、見当をつけてわいるのであるが。
「香港発福岡行きに搭乗のお客様。
「お待たせをいたしました。これから皆様を機内へとご案内いたします。
小さいお子さまや、最初にご案内を希望される方がいらっしゃいましたら、
係員にお申し付け下さいませ。」
と、一般の人間と、傷害を持った人間と、
小さい子供とを区別するようなアナウンスが響いた。
わたくしは飛行機に乗ると、いつも納得できないことがある。
それは、
「眼の見えない方のために、安全のしおりがありますが、
委かがいたしましょうか。」
という客室乗務員の、一般とは差別するような言い方に、
わたくしはいつも、その差し出しを断ることが多い。
この、(眼の見えない方のために)との文句が消えないかぎりは、
障害者を特別視する行動や、物の言い方などはおそらく改善はされないだろう。
午後4時45分くらいだったと思うが、
我々はついに、福岡行きの飛行機に乗り込んだ。
あと数時間で、日本の土を踏みしめることができる。
わたくしは、胸がわくわくした。
そして、明日になると、住み慣れた鹿児島の我が家に帰れる。
それはもう、感無量だ。
座席の番号を確認してから、居たくなった足をどっかりと座席の前に投げ出して、
イスに腰を掛けて、シートベルトをしっかりと締めた。
5分くらい立ってから、飛行機はゆっくりと動き出した。
あんのじょう、客室乗務員が、
「眼の見えない方のために、客室の安全のためのしおりがありますが、
いかがなさいますか。」
と言ってきた。
わたくしは、即答で拒否した。
飛行機の安全のしおりは、嫌と言うほど読んできた。
いまさらそれをゆっくりと眺める気はない。
暫くすると、ごぉーっという音と共に、飛行機が離陸を始めた。
やった。飛行機が無事に、香港国際空港を離陸した。
少し寝るとしようか。
なぜなら、いままでの疲れをここで取って
明日は晴れやかな顔で鹿児島に帰りたいからである。
家で待っているのは、祖母と姉である。
約4日ぶりに祖母とも会える。
家に何事も起こって居ないことを祈る。
いつのまにか寝てしまったようで、
気が着いたら機内食が来ていたが、あまり手を付けなかった。
と言うか、睡魔の方が強烈に襲ってきたのである。
食事の中身は鳥の料理のなかに、スパゲッティーが入っていたようであるが、
寝とぼけていたようで、あまり良くは覚えて居ない。
それから、40分くらい立った頃に飛行機は、
どすぅーんと言う音と共に、福岡空港に無事に着陸をした。
勿論その前に着陸の案内が、客室乗務員からあったのであろうが、
寝ていたのでまたまたこれも聞き逃していた。
福岡に着いた瞬間、ほぉーっとため息が出た。
やっと日本の土を踏みしめることができる。
わたくしはそう思ったら、もうわくわくどころの騒ぎでは無い。
飛行機を降りたら、九州福岡だ。
香港に行ったときから使えなくなっていた携帯電話が、
電源を入れると作動する。これは感動だ。
いよいよ飛行機を降りる順番が回ってきた。
はやる気持ちを抑えながら、わたくしは飛行機を足早に降りて行く。
機内のスロープを下りて行き、さらには階段を下りた。地面に足が着いた瞬間、
「わぁー福岡についたぁー。」
と、改めて思った。
わたくしは、携帯の電源を入れた。
気温は少し低めで肌寒いが、そんなことはいまはどうでも良くなっていた。
香港から持ち込んだ手荷物などを受け取るために、
荷物の受け取りカウンターに向かった。
そこで、荷物を待っている間に、
なおちゃんに早速メールを送った。
香港では、携帯は、時間を聞くときにしか使えなかったので、
家を出る前に充電をしてきていたバッテリーの残量は、
まだ残っていた。とにかくメールが送れた。
ほっと一安心である。
香港では、携帯で時間を確かめた後は電源をすぐに切っていた。
たまに試験的にメールを書いて送って見たが、だめだった。
でもこれできっと返事が返ってくれば、なにも言うことは無い。
荷物を受け取って、空港の外に出た。
ホテルに向かうバスはすでに来ていた。
我々は、楽器をバスに乗せるメンバーと、
荷物を乗せるメンバーに別れた。
わたくしと母は、荷物を積み込んでバスに乗り込んだ。
やはり香港に比べたら、福岡はかなり寒い。
ホテルへ行って、暖かいコーヒーでも飲むとしよう。
家を出て来るときに、一袋の中にコーヒーとミルクと砂糖が全部入っている、
そんなものを5袋くらい持ってきていた。
香港に着いたときに、そのコーヒーを飲もうとして、
お湯を沸かす道具が見あたらずに、諦めたのだが、
結局、その道具も見つかって、ホテルに常備してある水を使って、コーヒーを飲んだ。
しかし後になって、そのペットボトルの水1リットルの代金が、
香港ドルで、60ドルくらいした。
日本円に換算すると、約1000円くらいになる。
なんと高いお金だろう。
お金で全てが動く国香港。
色々な意味で不自由な体験もしたが、これはこれ。
まあ、演奏が大成功に終わったのだから、良いことにしよう。
バスは我々を乗せて、ホテルへと出発した。
やっと日本の土を踏んだのだ。
大げさではあるが、ほっとした。
明日はいよいよ、鹿児島へと帰る。
ほんとうに、珍道中の旅であったが、とても、充実した、演奏旅行と成った。
時刻は、午後9時をとうに回っていた。
福岡の夜は、相変わらず賑やかである。

11月5日。
いよいよ、福岡から鹿児島に帰れる日がやってきた。
待ち望んでいただけに、やはり嬉しい。
午前6時。携帯の目覚まし(太陽にほえろ)が、けたたましく鳴り響いた。
じつは、ここでばらしてしまうが、わたくし、刑事ドラマのお宅である。
とくに、太陽にほえろにかんしては、随分思い入れがあって、
物心ついた頃からテレビにかじりついていたので、
たいていのストーリーは記憶している。
太陽にほえろの話は、これ以上書くときりが無いので、
またの機会に触れることにして、本題に入ろう。
わたくしたちは、特別に食事を速く済ませて、ホテルの部屋に落ち着いた。
今日の食事は、純粋な日本食であった。
やはり日本のご飯は最高である。
こんなときが、日本人に生まれてきて良かったと素直に思える瞬間である。
それから、最終的に部屋に忘れ物が無いかを確認した。
7時50分にホテルのロビーに集合となっていたので、
わたくしたちは、荷物を持って下におりた。
やはり、少し福岡は寒い。
香港とは、かなり気温の差が大きい。
8時ちょっと前に、全員がいるかを確認し、
楽器といっしょに、我々もバスに乗り込んだ。
色々なことがあったが、とにかく後は鹿児島に帰るだけ。ほっとしている。
暫くしてバスは動き出した。
添乗員の、上野さんが、鹿児島までの搭乗券を回収し始めた。
なんでもこんどは我々は個人で、搭乗手続きをしなくても良いとのことであった。
空港までは、ここから15分くらいで着くと思う。
まあ道がこんで居なければの話である。
バスは順調に空港に向かっていた。
道路もそんなに込んで居ないらしい。
時刻は午前8時10分を過ぎている。
もうすぐ空港へ着ける。
わたくしの心は、少しそわそわとし始めていた。
でも、最後まで気を引き締めていかなければ、
ちょっとの油断で自己は起こる。まだまだ気は抜けない。
バスは空港へ着いた。
鹿児島までの搭乗手続きが終わると、
到着してからばたばたするといけないので、
解散式を、ここでやろうと言うことになった。
しかし、県庁の吉留課長が居ない。
あちらこちらを見渡している物もいたが、
その内課長が現れた。
「はぁーい、課長の搭乗です。
皆さん、はくしゅぅー。」
との、上野さんの声がした。
ぱちぱちぱちぱち、
とあちらこちらで不揃いな拍手が沸いた。
拍手は、色々な感情を持って居る物で、
あるものは何気なくぱちぱちとやって居るもの。
またあるものは、疲れたような拍手をするもの。
まあ色々な感情の渦巻いた拍手が、1つになって、不揃いに聞こえてくるのだった。
「みなさん、ほんとうにお疲れさまでした。
皆さんのおかげで、香港と鹿児島との文化交流が、大成功に終わりました。
ほんとうに有難うございました。
これからも何かございましたら、ぜひご協力いただけますように、
宜しくお願いします。ほんとうにお疲れさまでした。」
と、吉留さんから、ねぎらいの言葉をかけていただいた。
ほんとうに、大成功に終わったのだと、改めて認識をしたのであった。
「みなさぁーん、ほんとうにお疲れさまでした。
全員が怪我も無く病気もせずに、
日本に帰ってこれました。ほんとうにご苦労様でした。
でも、最終的には家に皆さんが無事にお着きになってから、
初めてこの交流事業は終了して、大成功に終わるのです。
自宅にお着きになるまでは気を抜きません用に、宜しくお願いします。
皆さぁーん、お疲れさまでしたぁー。」
と、高風さんが、挨拶した。
また、ぱちぱちぱちぱちと拍手が沸き起こった。
午前9時を少し回ったころに、機内への案内を告げるアナウンスが流れた。
わたくしたちは、荷物を持って機内へと入った。
スロープを上り、階段を上がって行く。
なんだか今日の飛行機は、小型飛行機なのか、
エンジンのモーターの回転数が速い。
日本航空でも、こんなエンジンを持った飛行機が居たのだろうか。
まあ離陸のときの音を聞けば、なにかが掴めるだろう。
機内に入ると、関の番号を確認して、
座席の下にリュックサックを放り込んで、イスに腰を下ろした。
エンジンの回転数はやはり速い。
でも、乗り込んで居る人間の数は、そこそこ居るようだ。
小さいエンジンで、これだけの人間を乗せて飛ぶ訳だから、大変な物だと思うが、
たしか飛行機は車と違って、エンジンの数は、いくら小さい飛行機とは言っても、
2つか3つ、積んで居る物であるから、心配は無いと思う。
わたくしがそんな心配をするのも、余計なことかもしれない。
飛行機は、ゆっくりと動き出した。
エンジンのぶぅーんと言う音を聞いていても、やはり回転数は速い。
結論は、離陸をしたときにはっきりとすると思うが、
「この飛行機は、間もなく離陸をいたします。
シートベルトをしっかりとお閉めになり、
これからのお手洗いはご遠慮下さい。」
との機内アナウンスが聞こえてきた。
間もなくと言った割には、ぶぅーんと言い出した音が速く、飛行機は、離陸を始めた。
やはり、この飛行機は小さい飛行機のようである。
いままで聞いたことの無いような速い回転数のエンジンの音に、暫く聞き入っていた。
福岡から鹿児島までの飛行時間は、だいたい30分くらいである。
色々なことを考えてぼぉーっとしている間には、鹿児島についてしまう。
いままで、香港で色々な経験をしたことや、
演奏の場面などなど考えていたとき、
「この飛行機は、間もなく鹿児島空港に着陸いたします。
お座席のシートベルトをお確かめ下さい。」
とのアナウンスが機内から聞こえてきた。
ついに鹿児島についた。待ちに待った鹿児島だ。
前進の力が抜けて行くのがわかった。でも、まだここで気を抜く訳にはいかない。
高風さんが言っておられたように、自宅に着いて初めて、香港との文化交流会が、
無事に、終わったということになるのだ。もう少し、気を引き締めていこう。
ざわざわと、機内にいた人間達が、下りて行く。
いよいよ、飛行機を降りる順番がきた。
待ちに待った鹿児島についたのだった。
それはもう、嬉しいなんて言うもんじゃない。
しかし、舞い上がるのはここまで。
自宅に着くまではまだまだ時間がある。
わたくしの自宅は、空港から、50分はゆうにかかる。
わたくしたちはバスの出発する時刻を確認しにいった。
次のバスの出発時刻は、午前10時40分と言うことだった。
もう少し時間がある。わたくしたちはまた、空港のなかに入って待つことにした。
スーツケースはかなり重たかったので、中村楽器店の若大将に届けて貰うことにして、
預けてきたのである。これで、少しは、身軽になった。
バスが出発する時刻になった。
わたくしたちはバスに乗り込んだ。
「これよりバスはハイウェイ走行にはいります。
どちらさまも、シートベルトをお閉め下さい。」
とのアナウンスが聞こえてきた。
このバスは、内の近くのバス停を経由して行く。
バスはゆっくりと動き出した。
平日にもかかわらず、けっこうな人が乗っている。
いったい、この人たちはどこから帰ってきたのだろう。
東京 大阪 もしくは我々のように、
外国からのお帰りかもしれない。
車内では、あちらこちらから鹿児島弁が聞こえてくる。
4日ぶりに聞く地元の言葉も、みょうに懐かしい。
そんなに家を空けた訳では無いのに、
やはり懐かしく感じてくる。
「次は下伊敷に止まります。
とのアナウンスが聞こえる。
おぉー、着いた着いた。
やっと着いたのだ。
ここから家までは、さらに10分くらいは歩くのであるが、ゴールは近い。
バスを降りると、いつもの車の賑やかな音。心のなかで、
「みなさぁーん、ただいまぁー。」
と叫んだ。もう少しで内に付ける。
心の中は、そわそわどきどき。
香港に行く日に、
どきどきどき 
としていた心臓の悲鳴とは違う。さわやかな鼓動だ。
色々なことを話しながら、歩いているうちに、家の近くまできていた。
11月だというのに、鹿児島も香港と同様に暑い。
いったい、このおかしな天候は、なんの影響から起こっているのだろう。
ついに家についた。
登り慣れた、階段を3段上って、玄関をはいる。
「ただいまぁー。」
と言いながら家にはいる。
祖母が出てきて、
「おかえりぃー。」
と言ってくれた。ほぉーっとため息が漏れた。やはり、我が家は良い。
疲れ切った足を、いっぱいに延ばして、ひとまず茶の間についた。
これでほんとうに、香港と鹿児島県との文化交流事業は、全て、無事に終わったのだ。
わたくしは、2階にある書斎に入り、着替えを始めた。
また、ほぉーっとため息が出た。
これから、いままでの旅行のことをまとめて、パソコンに保存をして置こう。
「ただいまぁー。」
わたくしは、独り言のようになんどもつぶやいた。やっと帰ってきたのだ。
また明日からは、普通の生活に戻る。
なおちゃんがきたら、色々なお土産話をしてあげようとしようか。
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